ちぎったメモの端っこに

明るい日も、暗い日も

新設予定です

最終投稿日が約1年前。その間にいろんなことがあった。

そういうことを振り返るために日記をつけるはずなのに、なんだかかけない気持ちの、ずっとどこかぼんやり、どんよりした日々が続いていた。

周りに変化が起こる年齢の中で自分だけが何も変わっていないような気がして、何も変わっていなくて、漠然とした不安に哀しい瞬間もあった。

 

いろんなことを考えて、たくさん本を読んで、人に会うより自分を見つめなおす時間をとった。

 

そんなこんなで新年度になり、少し新しい生活に挑戦することに。

きっかけは偶然だったけれど、これも何かの縁だと思って頑張ってみよう。

 

そう思うとまた日記がつけたくなって、ふとここに戻ってきたものの、

整っていない開けっ放しのタンスをみたような気持ちになった。

タイトルとかはそのままにまたちょっと新設しようと思います。

ありがとうございました。

明日もちょっといいことがありますように。

お世話になりました。

小腹が空いた時の相棒

今週のお題「好きなグミ」

 

そういえば、便利な機能でお題というものがありました。話題にことかかない機能、スペシャルサンクス......

好きなグミ、考えてみると色々あるけどパッと浮かぶグミって得票数多そうだな。ピュレグミ、果汁グミ、あとは最近話題のこつぶグミ?カルピスグミもロングセラーか。ピュアラルグミも長いし。少し食感が昔より変わった気もするけどこないだ買ったら相変わらず美味しかった。

 

今上げた中だとピュアラルが私の一位。

果汁グミも美味しいけどピュアラルよりは少しハード。

 

グミに求めるものは、少し柔らかめでトリッキーな味ではなく、無難めなものが好き。酸っぱいものも嫌いじゃないけど夏以外はあんまり買わないかも酸っぱい系。夏はなぜか酸っぱいものも欲しくなる季節。

 

こんな話をしてるとグミが無性に食べたくなってきた....

自分の悪い癖による痛み

朝起きると背中が痛いことがある。本を読んだり、動画を見ながら寝てしまうことが多いため、寝る前の悪い姿勢がほぼ原因である事は自分にもわかっている。

 

おしりの骨?の兼ね合いかもしれないが、長時間地べたや椅子に座ることが苦手で、何かしらクッションやベッドに腰掛けている方が楽。

 

1番いいのはベッドで背中を壁に預けたまま枕やクッションなどをその間に挟んでいる状態が好き。でもこれの何が悪いかって、その直立の上半身のまま寝てしまうことがあるわけで....そりゃ。背中の1つも痛くなるって話。今日は特に痛みがあった。悲しい...

 

どうやらもうそろそろちゃんとクッションを検討しないといけなさそう。

はは

母が何の悪気もなく尋ねて来た。「結婚したいとか思うの?」

いつも通り答えた。「想像しかしたことなくてしたいわけじゃないかなぁ。」

母はなるほどねと笑った。「子供かわいいよー」と続けた。

 

今でこそ仲良く過ごせてる母との関係も、大人になり、ある程度の距離感が保てるようになったからだと思う。若い時、と言うよりも学生時代。母のことを好きだったかと言われると、即答できないのが正直なところだった。

 

今でこそ理解できる言動もあるし、いまだに理解できない言動もある。人を育てるということが、どんなに責任が伴うもので、神経がすり減るものなのかを計り知れないことだなとつくづく感じている。自分の人生にも責任を取れていないような気がして、子供を育てると言う事は全くと言っていいほど考えられないし、選択肢にもない。

 

母になった友人たちを見て、うらやましいと言う感情よりも、すごいと言う感情と頑張り屋さんだなぁといった蚊帳のような感情でいっぱいになる。

 

こどもを可愛らしいと思う事はある。でも自分の子供となれば別。かわいいだけで、世の中を生きてはいけない。甘やかしてばかりで育てれば、誰かに危害を加えるかもしれない。大人になるって最高だと思う反面、知りすぎて嫌だなぁと思うことも多い。

 

母は「いいんじゃない?」といった。「もう少し歳を重ねた後に結婚したいなぁとか、子供が欲しいなぁと思ったら、それはそれで考えれば良いし、最終的にすべて選ばなかったとして、友達とかが羨ましく見えるようになったとしても、結婚していなくて、子供がいないあなたのことを羨ましく思う人だっていると思うから。お互い様やね、したいようにしたらいいよ」と続けた。

 

母、すごいなあ。でもその後にまた子供はかわいいよと言っていた。本音を押し付けないでくれて、ありがとう。

何となくの好きって、大事

 

 

くどうれいんさんの「うたうおばけ」を読んでいる。くどうれいんさんはこの作品で初めて出会ったけれど、とても好きな方だ。読み進めれば、読み進めるほど虜になって、くどうれいんさんの作品を一気にカートに入れた事は最近の事。

 

この作品の中で、1番好きな作品が「まみちゃん」と言う作品。2ページにも満たない短めの作品ではあるが、優しくて、可愛くて、温かい気持ちになる。

 

毎日を生きることも大変な世の中で心がすさまずに成長していくと言うのはかなり難しいことではあると思う。ただ、この「まみちゃん」は短い中にも素直な人の素敵さと言うものが詰まっていた。

 

素敵な人になると言うのは難しいことだと思うけれど、できるだけ素直な人でいたいと改めて思った。

優しい顔のお婆ちゃんになるのが夢

 

将来の夢は、と聞かれて、職業を考える年齢ではなくなってきた。したいことや、行ってみたい場所、体験してみたいこと、そんな自分さえ頑張れば叶うような目標に近いものを思い浮かべることはあるものの、小学生や中学生の時に考える夢とはまた違った形になってきたと思ったり。漠然としたものはなくなったというか。

あるものの、小学生や中学生の時に考える夢とはまた違った形になってきた気がする。漠然としたものはなくなったような。

 

この間友達と遊んだ時に何か夢はあると唐突に聞かれ、ふと考えたものの、特に今猛烈にしたい・叶えたい何かがあるわけではなく、恒例のお返事、「柔らかい表情のおばあちゃんになりたい」と答えた。

 

早いなぁ、なんて笑いながらも肯定してくれる友達がいて幸せだと思う。当たり前の事だけど、おばあちゃんも100人いれば、100種類のおばあちゃん....まるで某ポケモンみたいに言うなという話

 

兎に角柔らかい表情のおばあちゃんになるためにも、今年もそれなりに頑張ったりサボったりしながら歳を重ねたいな。

 

 

願望と想像と

 

周りに結婚する子が増えてきた。と言うよりも第二次ラッシュというのか、もはや今の自分の年代で結婚する子達はかなり目標がクリアにあって、「子供が欲しい」という子が多いように感じる。そのためにしっかり自分で相手を探して、相手と関係を構築して、結婚して、そしてお知らせしてくれる。すごいな。とにかくこれってものすごく体力と目標を見失わないメンタルも必要なことだと思う。

 

とは言っても時代が時代で働いている同世代もまだまだ多い。仲良い友達の一人はキャリアを順調に重ねながらも、やはり結婚したい、子供が欲しいとのことで相手を探してアプリや街コンにもプライベートの中で時間を設けてきちんと頑張っているらしい。すごい。

 

そんな狭間でぷかぷかしてるから、周りの皆んなに聞かれるようになってきた。「結婚願望はあるの?」「子供は欲しくないの?」私の中の答えは今となってははっきりしていて、多くの人と同じような人生を送りたくて”想像”したことはある。この人と結婚したら、とか一緒に住んだら、とか。でもそれを”したい”と思うところまで行った事がまだない。自分が本当に望んだことが多分まだない。現在に至っては探すこともしなくなってしまって、友達が紹介しようかとかこんな人がいてという度に会ってみたりやんわり断ったりを続けている。みんなは勿論良かれと思って優しさで紹介してくれたり心配してくれているだろうに、本腰を入れることもなくのらりくらりしててごめんねという気持ちも少し。

友達の結婚式に行っても変わらなかったから今の自分はそうなんだと思う。変わる日が来るのかな〜なんて思ってたらもうすぐ30になろうとしている。不思議。あっという間だなあ。みんな毎日起きて仕事しているだけで偉いのに。

 

でも多くの人が通ってるルートを通っておきたい、”普通”でいたいと強く思っていた時期もあった。普通じゃないということが、多くの人と違うことというのが割と共通認識だと思うけれど。普通ってなんだろうって何度も自分の中で考えたこともある。普通はその人の結局人生の中で生まれた平均的な認識だと思う。大体の人がそれが似通っているからそれが普通と呼ばれる部類になるのかなって。だからちょっと人生が違うだけで普通じゃなくなる気分になるのかな。

 

自分の性格や考え方やライフスタイルは勿論変化するだろうけど、今の自分にはまだ自分以外の人の人生や生活を考えられる責任が伴ってないなとはぼんやり思う。結婚した友達、結婚したくて頑張ってる友達、結婚はするつもりがない友達、結婚は今はいいかなと思っている友達、皆んな幸せだったらいいな。私はまだしばらく願望が現れなさそうです。