ちぎったメモの端っこに

明るい日も、暗い日も

よっぽどのことがない限り嬉しい、ありがとうって言われる方がええと思う

 

お世話になった上司が退職されることになった。本当にお世話になったし、それこそコロナ禍前は何度も飲みに連れて行ってもらったりして、仕事での愚痴も聞いてくれたし、一緒に笑ってくれたり、昔は〜なんて武勇伝を語ることも一才なく、寧ろプライベートの話で盛り上がったりしたので飲みに行くことも全く苦じゃなかったし寧ろ楽しい貴重な存在の人だった。

 

笑ってしまうほどペーペーにこんな風に言われてることなんてご存知ないと思うし、それが面白いところのインターネットなので....でも突然機嫌に任せて怒ったりもしない、人としてとっても尊敬している上司のお一人だった。こうやって文章を書いていると、ほんのり寂しいなと思ってる。

 

だからいざ最後の出勤日の日にはなぜか最後のような気がしなくて、ねぎらいの言葉もかけてもらって、気持ちだけだけどってプレゼントも貰って、ああ、良いのに、すいませんお気遣いいただいて、なんて言いながらペコペコしてた。飲み会の席ではゲラゲラ笑いながら絵しりとりをしていた間柄とは思えないエセかしこまった空気の中、頭の中で贈り物は自分が先に先手してたけど、貰うとは思ってなかったし、上司が「ちょっとしたもの」と言うときは大体そこまでちょっとじゃない。寧ろ全然ちょっとじゃない時の方が多いもん。あれなんでなん。遠慮せなあかんやろか、とか思いながらふとでもめちゃくちゃ喜びながら受け取って貰えた方があげる側としては何倍も遠慮された空気になるよりは嬉しいよな、と思った。

 

個人的な意見やけどそう思ったから、テンション切り替えてめちゃめちゃ喜んでみた。笑いながらそんな良いものじゃないんだよ、本当にと言っていた。良いものやから....と思いながら、ちょっとでも用意してくださったことが嬉しいです〜なんて言いながら手を振って別れた。気遣いとか気さくさを、見習いたいなと思いながら帰って、いただいたものを開けて、やっぱり全然ちょっとじゃないから一人で笑った。なんなんやろな、この法則は。

 

貰えないです、って言うよりも半分くらいの金額で、なんか好きそうなものをお返しした方があげあいの終わりにちょうど良いなと思って最近の文明の発達でお手軽に送れるLINEギフトを使ってみた。ごめんね、の絵文字と共にありがとうというお礼の文章が来た。私もいつか尊敬してもらえるような上司になれる日が来るんかなあ、と思うそんな6月の終わりでした。